考えすぎない生き方を読んだ感想

禅僧が書いた本です。
「考えすぎない」というタイトルにあるとおり、執着を手放す生き方を
仏教の用語も交えながら解説してくれています。

また、禅の思想としては
まずは現状を受け入れることが主流のようで

例えば、怒りの感情が起こっても
それを、どうこう抑え込んだり
ごまかしたりしない
(してもムダ)

それよりも、俯瞰して捉えることで
心が落ち着いていく

死の恐怖というものも
死とじっくり向き合うことで
死が恐れるものではなく
どのように生きるかという
明日への活力にすることができる
などなど、やはり仏教がベースになっていると、心に沁みる話が多いと思います。

また、この本の特徴として、
後半の1章部分は、坐禅について
細かく書かれていました。
仏教の用語でも聞いたことがない用語が並んでいたので、仏教的に
坐禅・瞑想をしっかり勉強したい人にはおすすめの本です。

以下、メモした内容です。

目の前の問題をなくそうとする前に、まずは、そのいかにも問題のように見えている問題の素性の構造を理解することが先決。
やみくもに、それをなくそうとするのは
ブッダの言い方だと
水を必死でかき混ぜてばたーにしようとする
ようなもの。現実不可能なことをしている

ブッダが菩提樹の下で悟りを開き、
仏陀となって初めて行った説法は
初転法輪と言われている
「初めて法の輪を転じた」という意味

反応の仕方で、幸せに向かうか
不幸に向かうかがわかれる
不幸に向かう路線を作っているのが
貪瞋痴

生と死は紙の裏表みたいなもの
今この瞬間も、生と死は同時に存在している
これが生死一如

病上手に死に下手
病下手に死に上手
という言葉があるように
いつも病気がちの人が思いの外、長く生きることもあるし、全く病気をしない元気な人が、突如死ぬこともある

死への向き合い方があるとすれば
私たちの側でまったくどうしようのないものがいつも足元にある死を勘定に入れて生きることこそが大切だと思う
死と直面しながら当たり前のように生きていること自体に畏怖の念を感じつつ、日々生きるということ
ビクビクと怖がるのとは違う
いわば末期の眼を持って生きることで、
徹底した生きるビジョンを持つことができるのではないかと思う

私たちは多分本当に値打ちのないものに値打ちを付け、本当に値打ちがあるものを蔑ろにしている
般若心経に顛倒夢想(てんどうむそう)とあるように
妄想で逆立ちして生きているわけ。

メメントモリ日々死を想って(恐れではなく)与えられた貴重な時間を全力で暮らしているうちに、
そこはかとなくしに照らされて陰影をます生の姿が感じられてくるとおもいます。

「ないもの探しをやめよう」
サーチライトを向ける方向が、所有物を探すために自分から外に向けるのではなく、自分の方に向けて自己存在を照らしていく、そういう在り方に変わっていくはずです
これが回光返照

どんなに大きな問題があっても心配しなくていい
全ては必ずなんとかなる
自分の当初の思い通りではないかもしれないけれどかならずかわっていきます
どんな局面にあってもそれをプロブレムじゃなく、ワークにしてとりくんでいける可能性がある
なぜなら諸行無常
この世の真理として起きたことはいずれ必ず過ぎ去っていくものだから、ぜったいになんとかなるんです
これまでも
なんとかなってきたんですから
心配しなくても必ずどうにかなるよって、諸行無常と言う心理がいつも応援してくれている

マインドフルネスというのは、今ここで、自分の内側や外側で起きていることに価値判断を入れず、ありのままの姿に注意を向けて、それに気づいている状態
自分の内や外で起きている出来事にしっかり向かい合うこと。
その向かい合おうとする態度、向かい合えている状態になるためのトレーニング、それらをまとめてマインドフルネスという。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
というように、身を守ろうとして緊張すると逆に沈んでしまうけれど、常識に反してあえて身を捨ててしまってリラックスすると、自然な浮力であら不思議、浮いちゃうということが起こる

怒りというのは、いわば思いと感情が入り混じったエネルギーが頭にのぼせ上がっている状態ですが、怒っちゃいけない怒っちゃいけないとやっていると、コレは絶対に起こりますよ、無理やり抑圧しているわけですから
人間というのは一方的にコントロールしようと思うと、からなず反発が出てきます。それはもともと不自然
怒りを一方的に否定したり、叩き壊すのでもなく、無視するのでもない
かといって怒りに飲み込まれて自分を見失うのでもなく、別のもっと賢明なやり方でスッキリできるようにするすべをもっておくと怒る確率が減ってくる

ちょっとでもかちんと来たら、すぐにふーっと深呼吸するだけでも一旦区切りがつけられる
するとその後は怒るというワンパターンではなく、いくつかのオプションの中から選べるようになる。
区切りをつけることで感情の召使いじゃなく感情の主人になれる

怒りが込み上げてきた時私の中で怒りという感情が起きているというふうに受け止めること
私は怒っているとみれば、私イコール怒り担ってしまうのですが、それではじっとしていられない
そうではなく、立ち上がってくる物をどうこうしようとしないで、ただ怒るがままに「ああ、私の中の一部に今、怒りという状態が起きている」と、自分の中のアクションを冷静に観察する技術を磨いていく

ストレスをマネジメントしようとしても疲れるだけ
ではなく、疲れたら休むだけ
禅ではそれを「困じ来れば即ち臥す」
お手上げのまま、じたばたしないでふて寝する

精進と言う言葉があります
コレを一言で言うと正しい努力すること