ニューアースを読んだ感想

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ニューアースを読んだ感想

まず、そもそもニューアースというタイトルはどういう意味か…
それは、本の後半にあった訳者あとがきがわかりやすい

世の中は本当におかしいと言われる時代になった
例えば異常な天候が続いたり
親が子供を殺したり
子供が親を殺す事件であったりなど
しかし著者 エックハルト・トールは
おかしいのは 私たち人間だという
変な人間が作っている社会だから変になっていくのだという
しかし 人間自身
これから人間の意識が変わっていけば
作り出す世界も変わる
そうなれば新しい地ニューアースが生まれる
(そしていま、ニューアースへの変換期を迎えているようです)

これがニューアースの意味だそうです。
そして、この本ではエゴという単語が頻繁にでてきますが、
これも訳者の言葉を借りると、
執着を持った妄想のようなもの

では人間はどのように変なのか 人間は
エゴを本当の自分と混同してしまっている
エゴとは思考であり妄想 であり
私たちの中にあって
「私が私が」と言いたがる存在
しかもその妄想(エゴ)は それ自体では存在できず
何かに自分を同一化せずにはいられない
その何かとはブランド品であったり
地位や名誉であったりする
しかしブランドも地位や名誉も
それは同一化の対象であり
自分そのものではないから エゴは決して満足しない
もっともっとと求め続ける底なしの穴に落ち込む
ではそれを解決するにはどうすればいいか
その奥にある本当の自分に目覚めること
本当の自分とは今この瞬間に生きている自分
あるがままの自分である

上記のようなことを教えてくれる一冊だなと思いました。
以下、自分がメモした内容です

ブッダはあるとき弟子たちを前に
一本の花を掲げ
だまって語らなかったという
しばらくして弟子たちの一人
マハーカッサパ(摩訶迦葉 / まかかしょう)という僧侶が微笑んだ
マハーカッサパだけがブッダの沈黙の教えの意味を理解したのだ
言い伝えによれば この微笑みは
その後 28代の 師に伝えられ やがて禅の始まりになった
花に 美を見出すことを通じて
人類はほんの束の間であれ
自分の最も内なる存在の核心にある美や本質に目覚めるのではないか

地球の生命体はまず海で進化したと考えられている
地上に全く動物がいなかった頃
海の中には生命が溢れていた
それからいずれかの時点で
海の生物のあるものが
かわいた地上への進出という冒険を余儀なくされた
多分最初はほんの数cm はい上がり
巨大な重力にへとへとになって
重力をほとんど感じず楽に生きられる水中に戻ったのだろう
だが再び地上への進出を試み
また試み何度も試み続けて
やがて地上の生活に適応し
ヒレの代わりにアシが生
えらの代わりに肺が発達する
よほどの危機的状況に突き動かさなければ
こんな不慣れな環境に挑んで
進化状の大変化を遂げるとは考えられない
海の一部が 切り離され
何1000年かかけて
徐々に干上がって行って
魚は生息地を離れて進化するしかなかったのかもしれない

一瞬私は自分の心から離れて
今はもっと深い視点から自分を見てきた
思考から気づく瞬間だった
鏡に映る自分の顔を見つめた
そして自分の心から離れた
その一瞬に声を上げて笑ったのだ
狂気じみた笑いに聞こえたかもしれないが
それは笑気の笑い恰幅の良い仏陀の笑いだった
人生なんてお前の心が思い込みたがるほど深刻なものじゃないよ
その笑いはそう語っているようだった

ある女性は
ダイヤの指輪がなくなったという
彼女はひどくがっかりし
とても思い出深い品だった
そして怪しい人を
問いただすべきか警察に通報するかと
私の意見を求めた
私はどうすべきかは指図できないと答えたが
しかし今のあなたにとって
どれほど重要な 指輪かを考えてみてはどうかといった
私は言った
それじゃいくつか質問します
すぐに答えなくていいですから
自分の中に答えが見つかるかどうか探してみてください
質問ごとに少し間を空けますからね
答えが浮かんでも
必ずしも言葉にしなくてもいいんですよ
どうぞ聞いてください
あなたはいずれ
それも多分近いうちに
指輪を手放さなくてはならないことに気づいていますか
それを手放す用意ができるまで
あとどれほどの時間が必要でしょう
手放したら自分が小さくなりますか
それがなくなったらあなたは損なわれますか
再び話し始めたとき彼女の顔には安らかな笑みが浮かんでいた
その指輪は実は思考として
あなたの頭の中にあり
それをあなたは自分と混同していたんですよ
エゴが求め執着するのは
エゴが感じることができない大いなる存在の代用品です
彼女は言った
今ようやくこれまでどうしてもわからなかった
下着を取ろうとする者がいたら上着も与えてやりなさいというイエスの言葉の意味が理解できました
その通りです
その言葉は決して
ドアに鍵をかけるなという意味じゃありません
時には物を手放す方が
守ったり
しがみついたりするよりも
はるかに力強い行いだという意味なんですよ

心の貧しいものは幸いですとキリストは言った
天の御国はその人のものだからです
心が貧しいとはどういうことか
心に何の持ち物もない
何にも自分を 同一化(アイデンティファイ)していないということだ
そういう人はどんなものにも
また自己意識と関係するどんな概念にも
アイデンティティを求めていない
それでは 天の御国とは何か
それはシンプルな
しかし深い大いなる存在の喜びのことだ
その喜びは何かに
自分を同一化するのをやめて
心の貧しいものになった時に感じることができる
だからこそ あらゆる所有が否定されてきた

私は戦いは失敗するに決まっていると思う
麻薬との戦い
犯罪との戦い
テロとの戦い
がんとの戦い
貧困との戦いなど
例えば犯罪や麻薬との戦いが行われているにもかかわらず
この25年で犯罪や麻薬がらみの違法行為は劇的に増加した
アメリカの刑務所の収容人員は1980年には30万たらずだったのに
2004年にはなんと 210万人に増えている
病気との闘いで私たちは抗生物質を手に入れた
最初は目覚ましい効果があり
感染症との闘いに勝利をもたらすかと思われた
ところが現在では多くの専門家が
口を揃えて抗生物質の
広範な無差別的使用は時限爆弾だ
抗生物質耐性菌のせいで
感染症が復活し爆発的に流行する恐れがあるといっている
アメリカ医学会誌によれば
治療行為は心臓病
がんに次いで
アメリカ人の死因の第三位にランクされている
西洋医学に代わる病気への取り組みとしては
ホメオパシーと漢方医学があり
どちらも病気を敵として戦わないので
新しい病気を引き起こすこともない
戦いは心の癖で
そういう癖から生じる行動は
すべて悪と想定される敵をかえって強くするし
たとえ闘いに勝っても撃ち負かした敵と同じような
それどころかもっと手強い新しい敵を生み出す
あなたが戦いという心の敵にとらわれていると
あなたの近くは極めて選り好みの強い者となって歪められる
言いかえれば見たいものしか見ず
しかもそれを曲解する
そんな妄想のシステムから
どんな行動が生じるかは
簡単に想像がつくだろう

すべてのものが深く関連し合っていることは
善と悪という区別が
結局は幻想にすぎないことを意味している
善だの悪だのというのは限られた見方で
相対的一時的な真実を示しているに過ぎない
このことはくじ引きで高級車が当たった
ある賢い人物の物語を見るとよくわかる
当選した時
親戚知人は大喜びで祝ってくれた
すごいじゃないかと彼らは言った
君は本当に幸運だ
当選した男性は微笑んで
そうかもしれないと答えた
彼は数週間
新車を運転して楽しんだ
ところがある日交差点で
酔っ払い運転の車にぶつけられ重傷を負って病院に担ぎ込まれ
親戚知人が見舞いにやってきた
とんでもない不運だったね
またしても男性は
微笑んでそうかもしれないと答えた
彼の入院中のある晩
地滑りが起こって
自宅が海に流されてしまった
翌日やってきた友人たちが言った
入院中で運がよかったね
男性はまた答えた
そうかもしれない
この賢者のそうかもしれないは
怒った出来事について判断しないことを意味している
判断する代わりに
事実を受け入れ
それによって高い秩序に意識を 向けているのだ
一見偶然に見える出来事が
全体の中でどんな場所を持ち
それにどんな目的があるのか
心では理解できないことが多いのを彼は知っている
しかしまったく偶然の出来事もなければ
それだけが独立して存在する出来事もありました

何が起ころうと気にしない j クリシュナムルティは
インドの偉大な哲学者
霊的指導者で50年以上も世界各地を旅して
講演し言葉を通じて
言葉とは中身だが
言葉を超え中身を超えたことを伝えようとした
人生も広範に差し掛かった時
彼は私の秘密を知りたいと思いますかと
問いかけて聴取を驚かせた
聞いていた全員がハッと耳をそだてた
聴衆の多くは20年30年と彼の言葉を聞いてきて
それでもなお彼の教えの本質を理解することができないでいた
長い歳月などついに師は教えを理解する鍵を与えてくれるのか
これが私の秘密ですと彼は言った
私は何が起ころうと気にしない
彼はそれ以上説明しなかった
多分聴衆のほとんどは
一層、困惑したのではないか
だがこのシンプルな言葉の意味はとても奥深い
何が起ころうと気にしない
これは何を意味するのか
自分の内面は起こった出来事と調和しているということだ

ほうそうか
日本のある町に白隠という禅の老師が住んでいた
彼は人々の尊敬を集めており
大勢の人が彼の教えを聞きに集まってきていた
ある時 寺の隣の十代の娘が妊娠した
怒り狂った両親に
子どもの父親は誰だと
問い詰められた娘は
とうとう白隠禅師だと答えた
両親は激怒して
白隠のもとに怒鳴り込み
娘は白状したぞ
お前が父親だそうだなと
なじった
白隠は
ほう そうか?と答えただけだった
噂は町中どころか近隣の地域ににまで広がった
白隠の評判は地に落ちた
だが白隠は意に介さなかった
誰も説法を聞きに来なくなった
だが白隠は落ち着き払っていた
赤ん坊が生まれると
娘の両親は白隠のもとへ連れてきた
お前が父親なんだから
お前が面倒を見るがいい
白隠は赤ん坊を慈しみ世話をした
1年たち 慚愧に耐えられなくなった娘が
両親に実は赤ん坊の父親は近所で働く若者だと白状した
両親は慌てて白隠の元へ駆け付け
申し訳なかったとお詫びした
本当にすまないことをしました
赤ん坊を引き取らせてもらいます
娘が父親はあなたではないと白状しましたんで
ほうそうか
白隠はそう言って赤ん坊をかえした
白隠は偽りにも真実にも悪い知らせにもよい知らせにも
ほうそうかと
全く同じ対応をした
彼は良くても悪くても
今という瞬間の形をそのまま認めて
人間ドラマには加わらなかった
彼にとってはあるがままの
この瞬間だけがある起こる出来事を
個人的なものとして捉えない彼は誰の被害者でもない

1970年代後半
私は ケンブリッジ大学 のカフェテリアで昼食をとっていた
そのときに近くのテーブルに
車椅子の男性がいるのを見かけることがあった
男性はいつも
三、四人の人たちと一緒だった
ある時同じテーブルで向かい合わせになったことがあり
ついその男性をしげしげと見て
酷く驚いた
彼はほぼ全身が麻痺しているらしかった
体には力が入らず
首もがっくりと前に垂れている
付き添いの人たちの一人が
食べ物を口に運んでやるのだが
その大半は別の付き添いが
男性のあごの下に差し出す小さなさらにこぼれ落ちる
時折
車椅子の男性が
うめき声のようなものを発すると
誰かがその口元に耳を近づけ
なんと彼の言わんとしていることを
他の人に伝えるのである
その後私は友人に車椅子の男性が何者か知っているかと尋ねた
もちろん知っているさと答えた
彼は数学の教授
体中で麻痺が進行する運動神経の病気にかかっている
医者は5年も持てばいい方だと言ったらしい
あれ以上つらい運命ってないんだろうな
数週間後カフェテリアから出ようとして
その男性が入ってくるとき出会った
電動椅子を通すためにドアを押さえている
私と彼の目があった
彼の目があまりにも澄んでいるのに私はビックリした
そこには不幸の欠片もなかった
私はすぐに彼は抵抗を完全に放棄していると感じた
彼はありのままを全て受け入れている
それから何年もたって
キオスクで新聞を買っている時
その男性が大手の国際ニュース雑誌の表紙になっているのを見てまたびっくりした
彼スティーブンホーキングは
まだ生きていたばかりでなく
世界で最も有名な理論物理学者になっていたのである
記事の中には何年も前に
彼の目を見て私が感じたことを裏付ける
見事な一文があった
自分の人生について尋ねられて彼は
音声合成装置の助けを借りてこう答えた
これ以上何を望めるだろう

数年前私は中国を訪れ
桂林に近い
山の上の仏舎利塔にいった
塔に金色の文字がほってあったので
なんと書いてあるのかと中国人の友人に尋ねた
佛と書いてあるのです
仏陀という意味ですよ
この文字は二つの部分からなっていますね
一つはにんべんで人間を表しています
そしてつくりの方の 文字は「あらず」
つまり否定を意味しているのですよ
この二つを組み合わせるとブッダという意味になります
私は感心した
ブッダを表す漢字にはすでにブッダの教えそのものが含まれている

これもまた過ぎ去る
スーフィ教徒たちに伝わる
古い物語によれば
中東のある王様はしょっちゅう
幸福と意気消沈を繰り返していた
幸福はあっという間に
落胆から絶望へと変わる
やがて王様もそんな人生がほとほと嫌になり
何とか脱出できないかと考え
使いを出して
悟りを開いたと評判の賢者を呼び寄せた
賢者がやってくると王様は言った
私はあなたのようになりたい
人生に調和と静謐(せいひつ)と知恵をもたらしてくれるものはないか
望みを叶えてくれたら報酬を差し出そう
賢者はこたえた
ないこともないです
しかし 報酬となると
王国すべてを頂いても足りません
だから 私が贈り物として差し上げましょう
王様は欲しいと答え
賢者は立ち去った
数週間後
賢者は戻ってきて
王様に 美しい箱を渡した
あけてみると箱の中には
シンプルな金の指輪が入っていて
指輪には文字が 彫り込まれていた
こんな言葉
これもまた過ぎ去るだろう
王様はどういう意味かと尋ねた
賢者は答えた
いつもこの指輪をはめていることです
そして何かが起こったら
それがいいことが悪いことかを決める前に
指輪に触れてこの言葉をお読みになるのです
そうすればいつも平和な気持ちでいることができます
これもまた過ぎ去るだろう
この簡単な言葉にそれほど大きな力があるのだろうか
これは困った時には
多少の慰めにはなっても
かえって人生の喜びを半減させてしまうように思える
あまり有頂天になるな
これもまた過ぎ去るのだから
と言っているように聞こえるからだ
この言葉の深い意味は
二つの物語と組み合わせるとよくわかる
ほうそうかとしか答えなかった禅の老師は
目の前の出来事に抵抗しない
起こった出来事を丸ごと受け入れる
この素晴らしさを教えている
またいつも
そうかもしれないという簡潔な返事をした男性の物語は
判断しないという知恵を
そして先の指輪の物語は
すべては無常であり移ろうものと知れば
執着せずにすむことを教えているのである
抵抗しない
判断しない
執着しない
この三つは真の自由の
そして悟りを開いた生き方の三つの側面なのだ

指輪に記された言葉これもまた過ぎ去るだろうは
人生の良い時を楽しむなと言っているわけでもないし
苦しい時の気休めでもない
この言葉にはもっと深い意味がある
すべての状況は変化し するものであるから
すべての状況は一時的でしかないと気づきなさいということ
すべての現象は無常であると気づけば
形に対する執着も 減る
執着しないとは
この世界が提供してくれる良いものを楽しまないことではない
それどころかもっと楽しむことができる
すべては無常で変化が不可避であることを知って
受け入れれば
楽しいことを失うのではないかと恐れたり
将来を心配したりせずに
楽しいことが続いている間を
楽しむことができる
執着しない人は
人生の出来事の罠に落ちる代わりに
すべてを見通す一段高い下に視点に立つことができる