この本が一貫して伝えているのは、
人生を苦しくするのは、出来事そのものではなく、それに対する受け止め方である。という考え。
すべてを受け入れることが、さとりでもあるという。
そして、さとりは難しいことではなく、
執着をなくして、「今 ここにある」ことを意識できたら
それがさとりだという説明でした。
そして、自分が自分をたらしめている感情・思考というものが、
そもそも、私たちとは別のものであり、そこに干渉されなくなることが
本来のさとりでもあるようです
以下
メモした内容です。
本書の中で大いなる存在 など
初めのうちは意味がよくわからない表現にぶつかるかもしれません
そんな時には構わず読み進んでください
また読みながら疑問や反論が湧き上がってくる事もあるでしょう
それらについては後で説明されている場合もあれば
あなたの理解の度合いが含まるにつれ
自分の見解こそが的外れだったのだと気づく場合もあることでしょう
本書の内容を頭だけで理解しようとしてはなりません
あなたの感情がより動かされ
心の奥がイエスと共鳴するところに気をつけてください
私はただ皆さんの魂がすでに
ご存知であるはずの真実をお教えするだけなのです
言い換えれば皆さんが忘れてしまっていることについて
思い出させて差し上げるだけなのです
わたしは仏陀による大変簡潔な悟りの定義が気に入っています
それは悟りとは
苦しみの終わりであるというものです
この定義ならば超人的な感じがしないと思いませんか
好きな時に思考を止められますか ?
ほんの1瞬なら何とかなるかもしれない
もし無理だと言うならば
それは思考が主人になりすまし
あなたがしもべになっている
自分でも気づかないうちに思考を本当の自分だと思い込んでいる
自由への第1歩は
自分の思考は本当の自分ではないと気づくことから始まります
そう気づくと思考を客観的に眺めることができるようになる
あなたがもし 思考
思考を客観的に眺めるというのはどういうことか
あなたがもし頭の中で声が聞こえると
お医者さんに打ち明けたら
お医者さんは 精神科医を紹介するでしょう
でも実際にはほとんどの人が
これと似と似たようなことを
日常的に経験しているのです
中には何種類もの声を聞いている人もいるでしょう
これは本当は止めることができるのに
ほったらかしにされている人間の修正です
終わりのない独り言
もう1人の自分との会話と名付けてもいいでしょう
ブツブツと独り言をつぶやき続ける人に
道で出くわしたことがありませんか
実を言うと私たちの行っている頭の中の会話も
これと大差ありません
実際に声に出すかどうかの違いだけなのです
思考は意見をする
推測する
判断を下す
比較する
好き嫌い
といったことを休みなく行っているものです
思考が状況に適したことを言っているかと言うと
必ずしもそうとは限りません
つい最近の出来事や
はるか昔に起こった出来事を
再現したりこれから起こりそうな状況のリハーサルをしていたりします
しかしたいていは
何か良からぬことが起こるのではないかという
悲観的な見方をしています
これは簡単に言うと不安です
歴史に名を残す偉大な科学者たちも
快挙となるアイディアがひらめいたのは
思考が止まった状態のときだったと報告しています
アメリカ全土で
アインシュタインをはじめとする
著名な数学者たちの成功の秘訣を探ろうという調査が実施されました
それによると
ほんの1瞬というひらめきの活動の中で考えるという行為は
補助的な役割しか果たしていないという
驚くべき結果が発表されました
すると大多数の科学者たちが
アインシュタインのように
クリエイティブでない理由は
頭の使い方を知らないからというよりは
頭の活動の止め方を知らないからということが言えないでしょうか
地球上で日夜
刻々と無数の生命が誕生し
その生命が維持されているという奇跡は
頭脳や思考で可能になっているわけではありません
みなさんご存知でしょうか
人間の細胞の直径はわずか2. 54cm の1000分の1しかありません
しかしその微小な細胞の 1個のdnaには
なんと600ページもある本が
千冊分の情報を記載しているのです
全く驚きです
人間の体の仕組みを知れば知るほど
頭脳よりはるかに偉大なインテリジェンスの存在を
確信しないわけにはいきません
私たちの頭脳が
このインテリジェンスとつながれば
思考は最高の道具になります
しかもその実力以上の力を発揮するようになるのです
例えば攻撃的な考えや
敵意は
怒りのエネルギーを体に蓄積します
体は戦いに備えているのです
肉体的にまた心理的に自分が脅かされているという考えを抱くと
体が収縮します
これは恐怖心が形になって体に表れたのです
強い感情は
体に性科学的変化さえ及ぼすことが
最近の研究で明らかになっています
これも感情の体への物理的な表れなのです
私たちは自分がどんな思考を抱いているかを
いつも自覚しているわけではありません
自分の激しい感情から
やっと自分の思考活動に気付くことの方が多いのではないでしょうか
自分の思考の状態を
本当に知りたいと望んでいるときには
正確な情報をフィードバックしてくれるものです
体の内面にある感情は
正面からまっすぐに見据えてみましょう
むしろそれを感じ取ると表現したほうが
ニュアンスが伝わるかもしれません
あなたがおっしゃるように
思考と感情の間に
明らかにギャップがある場合
思考が嘘で感情が本物です
感情はその人の人間性を表す真実というわけではありませんが
それでもその時点での本音であることは確かです
感情を観察するのは
思考を観察するのと同じくらい大切ですか?
その通りです
今この瞬間
私の心で何が起こっているのだろう
こう自問する習慣をつけましょう
この質問が
あなたを適切な方向へと導いてくれるはずです
ただし内面で起こっていることを
あれこれ分析しないでください
観察するだけです
環状認識を集中させるのです
感情のエネルギーを感じましょう
もし感情が見つからないのなら
体の内側のもっと深いところを意識しましょう
それが大いなる存在の入り口なのです
ここでちょっとイメージ力を使ってみましょう
人類の存在しない地球を想像してみてください
植物の動物だけが住む地球です
その地球に過去や未来は存在するでしょうか
時間について異議のある会話は成立するでしょうか
今何時ですか?
今日何日だっけ
こんな問いかけに意味があるでしょうか
植物や 動物の鷲は
そんな質問に戸惑うでしょうね
今何時ですか
こう言われたら彼らはきっとこう答えるでしょう
今何時かって
そんなこと決まってるんじゃないか
今は今だよ今以外に一体どんな時があるっていうの
今この瞬間が不愉快だったり
最悪だったり
受け入れるのが無理なときは
どうすればいいんですか
すべてはあるがままです
思考がどんな具合に
物事にレッテル貼りをしているかよく観察してごらんなさい
そうすればそのレッテル貼りこそが
苦しみと不幸をこしらえる原因であるということに気づきますよ
思考がどんな仕組みで
機能しているかを理解すると
思考活動の外に歩み出ることができます
これは同時に
今この瞬間をあるがままに受け入れていることになります
今この瞬間を受け入れるとどんな出来事にも動じない心の平安が得られます
悩みがあったらどうすればいいか
まずは自分が どんなレッテル貼りをしているかを俯瞰で考えてみる
こうやって俯瞰で考えたと同時に
今この瞬間を受け入れていることになる
今この瞬間を受け入れたら
どんな出来事にも動じない心の平安が得られる
人間がたえまなく不安をかかえるようになったのは
いまに始まったことではない
この問題はイエスの生きた時代にはすでに存在していた
それからさらに500年ほど遡った仏陀の時代にも存在していた
なぜ人間はいつも不安なのか
イエスは弟子たちに尋ねたものです
心配することであなたの寿命が1日でも伸びるでしょうか
ブッダは 苦しみの根底には絶えまない欲望があると説きました
禅の僧侶たちは
瞬間的な無心状態を悟りと呼んでいます
これを経験したときには素直に
喜んでいいのです
きっと読者の中にも瞬間的な悟りを経験していながら
その意味と重要性に気づいてない人もいるでしょう
自然の美しさ神聖さに気づくためには
今にあることが必須条件なのです
空がすみわたった夜に
広大無変な宇宙を見上げ
その荘厳な静けさと果てしなさに
畏敬の念を抱いたことはありませんか?
山奥深くの渓流のせせらぎに
心の底から耳を傾けたことはありますか?静かな夏の夕暮れ時につぐみの聞き入ったことはありますか 心がじっと静まっていなければ自然の美に魅せられることはありません
受け入れると
もう思考からは支配されません
それと同時に愛と喜びと平和が存在できるスペースを作ります
すると私たちはまず
自分自身に対する決め付けを
やめることができます
次に相手に対する決め付けをやめることができます
恋愛関係を変化させる1番の方法は
パートナーに対して
何の決めつけもせず
相手のどんなところも変えようとせずに
ありのままを受け入れることです
その時点で思考のゲームと
しがみつきはすべて終わります
するとカップルの関係は
愛に包まれながらもパートナーと
離別しているか
もしくはパートナーも一緒に
今にあり大いなる存在につながっているからどちらかです
「盤山宝積(ばんざん ほうしゃく)」
このエピソードをご存知ですか
盤山は かなり長いこと悟りの探求に費やしましたが
悟りは ことごとく彼の身をかわして
すり抜けていたのです
そんなある日のこと
盤山が市場を歩いていると
肉屋の主人とお客の会話が耳に飛び込んできた
お客は主人に言いましたあなたのお店で
1番上等の肉をくれませんか
そう言われた主人はこう答えた
私の店の肉は全部1番ですよ
この言葉を聞いた途端
盤山は悟りを開いたのです
盤山がどうして悟りを開くことができたのかを分かりでしょうか
すでにあるものを受け入れた時
肉すなわちすべての瞬間は
1つ残らず全部極上になるのです
これが悟りを開くことなのです
ある人にとって
手放すことは試練に対する敗北
諦め
挫折
無気力などを意味し
消極的な態度に聞こえるかもしれません
しかし本当の手放すことは
全く別のものです
何もせずに受け身の姿勢で
自分が壊れた状況に耐えることではないのです
計画を立て
積極的に行動を起こすことを
放棄するわけでもありません
手放すことは
人生の流れに逆らうよりは
それに身をまかせるという
シンプルでありながら
とても奥の深い知恵なのです
人生の流れを実感的な場所は
今この瞬間しかありません
手放すことは
今この瞬間を何の不安も抱かずに
無条件に受け入れること
過去の抵抗を捨て去ることです
手放すことは内面だけでいいのです
何らかの行動をとって状況を変えてはいけない
という意味ではありません
しかも手放す時に
受け入れなければならないのは
状況ではなく今この瞬間というごく限られた部分だけでいいのです

