実はこの本は、10年ほど前に読んでいました。
その当時は、私が未熟だったこともあり、
さほど気づきはなかったように思います。
がしかし、樺沢紫苑先生がおすすめした本ということであり
もう一度読んでみたら、
お釈迦様の考え方がわかりやすく書いてあることに、改めて驚かされました。
まさに、お釈迦様の言われた
「この世の悩みは執着(反応する心)が原因である」ということを、一貫して いろんなシーンに合わせて紹介してくれています。
さらに私たちの、陥りやすい生活の困難に対してのたとえが
わかりやすいです。
本当にお坊さんが書いたのか?と思ったくらいですね。
そもそも、お釈迦様の言葉は、やや難解なのですが
それを私たちの日常に近づけてくれているのが、この本でしょう。
まさにすべての悩みの根源である「反応」(妄想)
これを断ち切ることができれば、実は悩みは消えてなくなる
それを知りたい人はおすすめです。
以下、メモした内容です
悩みの始まりには、きまって心の反応がある
心がつい動くこと、それが悩みを作り出している
だとすれば、悩みを解決するには
ムダな反応をしないこと
想像してみて下さい
反応しなくなれば
人生どれほどラクになることか
動揺しない
落ち込まない
腹が経たない
プレッシャーを感じない
緊張しない
後悔しない
不安に思わない
これこそ人生の救い
心が軽くなる
そのぶんきっと幸せが近づいてくる
ブッダの考え方は
①悩みがある
②悩みには理由がある
③悩みには解決策がある
この順番を追うことでどんな悩みも確実に解決できる
というのがブッダの考え方
人によっては「現実を受け入れること」は
つらいと思うかも知れない
でもそうではなく
「受け入れる」のではなく
「ある」ものを「ある」と理解するだけ
理解するには、俯瞰してみるのがよい
たとえば緊張しだしたら
「私は緊張している」と確認
求める心のことを仏教の世界では割愛と表現してきました
「求め続けて、いつまでも渇いている満たされない心」のこと
「私には承認欲があるのだ」と素直に受け入れてしまう
不思議なことにそれだけで あれほどの不満、がおさまっていくことがあります
承認欲という「心の渇きの正体」がわかるだけでその不満の状態から抜けてしまう
人が悩む理由の一つは判断しすぎる心
この仕事に意味があるないとか
人生は生きている値打ちがあるとかないとか
どちらが優れているか、劣っているかとか
決めつけや思い込みのこと
「いい・悪い」「好き嫌い」をやめる
判断が人の心を縛り付けている
スッタニパータの節
目覚めたものは、人間が語る見解、知識や決まりごとにとらわれない
善し悪しを判断しない
判断する心には、
分かった気になれる気持ちよさと自分は正しいと思える快楽がある
人は3つの執着によって苦しむ
①求めるものを得たいという執着
②手にしたものがいつまでも続くようにという執着
③苦痛となっている物事をなくしたいという執着
「こうでなければ」という自分の人生や、
相手へのきたも
それだけならただの判断
それはアタマの中に存在しないから妄想です
妄想に過ぎない判断に執着して
今なお、自分や相手を苦しめている
人は苦しみ続けるよりも
苦しみから自由になることを
人生の目標にすべき
過去も、判断も全部手放す
そうしてラクになる
人と人が関わるときには必ず見解の違いが出てくる
「これはどう考えても自分が正しい」という場合も
しかし「どう考えても」というその「考え」は
自分のアタマで想像した以上「どう考えても」自分の考えしか出てこない
自分で考えれば、自分の考えだけが出てくるのが当たり前
それに、それが正しいとは限らない
だって、考えている前提、立場も、体験も違うから
ブッダいわく
どのような判断も、故人の頭に浮かぶ想念(妄想)にすぎない
判断しない実践
①判断したという気づきの言葉
②自分は自分として比較しない
ブッダの考えでは
「世間にはこういう人もいるかも知れないが
わたしはこうしよう」と他人と自分との間にきっちりと線を引いていること
【長年の悩みを一気に解決する方法】
①よく気づいて反応しない
もし記憶を思い出したら
「これは記憶にすぎない。幻にすぎない」と
はっきり口に出して念じること
②感覚を意識する
幼い子供は、怒ったり泣いていても
飴玉を口に放り込んだら機嫌が治る
これは感情に反応していた心が、感覚に切り替わるから
大人の場合、
外を歩く、スポーツをする
お風呂に入る、ホットヨガをする
③反応の源を断つ
毒親と距離を取る
過去の記憶も断つ
現在の相手とも関係を断つ
なぜ人は比較をするのか
「承認浴を満たして安心したい」から
というのももし、自分で自分を肯定できて
他人に認められたいという気持ちがまったくない心境であれば
比較するという発送が心に向くことはない
比較とは非合理な志向
①比較という心の動きは、そもそも実在しない。妄想だから実感できない
②比較しても自分の状況が変わるわけではない(だから安心できない)
③比較によって安心を得たいなら絶対・完全に有利な立場に立たなければならない
承認浴を満たせる記号には、数に限りがある
(地位・ブランド・学歴・容貌)
だから同じものを求める人間同士で奪い合いが始まります
勝ち取ることが勝利です
これが競争の始まり
競争は奪い合いにとどまらず、もっとうえを目指したがるという貪欲がある
競争の前に準備する
①競争に参加して勝利を目指す
②競争から降りて、違う生き方を目指す
ブッダの教えは
③競争の中を違うモチベーションで生きる
勝つという動機以外で競争社会を生きること
勝ち負けという二者択一だけでなく
別の価値観を持って
競争社会の中を生きること
【人間関係をまあるく治める4つの心掛け】
慈・悲・喜・捨
慈(慈しみの心)
これは相手の幸せを願う心
自分の都合や欲求を通すことではなく
純粋に相手が幸せであるようにと願う心のこと
悲(悲の心)
相手の苦しみ悲しみをそのまま理解すること
相手の「悲」に共感すること
喜
相手の喜び・楽しさをそのまま理解すること
相手の喜に共感すること
捨
手放す心、捨て置く心、反応しない心
中立心ともいう
たとえば欲や怒りという反応に気づいて、ストップをかける心掛け
世間ではこれらをまとめて愛と表現している
しかし愛は、時に互いを苦しめるものにもなる
4つは誰でも持っている
慈しみは
家族・子どもが幸せであってほしい
身近な人が順調に暮らしてほしいという気持ち
悲しみの心は
身近な人が病気にかかったり、悩んだりしていたら
こちらも苦しみを感じる
見知らぬ土地の人が、地震などの災害にあったら
助けてあげたいと思う
喜びの心は
ペットがエサを夢中になって食べている様子を見て
心が和む
子どもが公園で楽しそうに遊んでいるのを見て
幸せを感じる
捨の心は
相手を許す
過去の怒りを手放す
これ以上苦しまないように
反応しないように務める
難しいのは捨の心かもしれない
なぜなら執着があるから
欲をかなえたい
許したくない
相手に認めさせたい
勝ちたい
というのは全部執着
人間は執着している思いを
「相手のため」
「世の中のため」
「正義」と理屈を作って正当化している
これは親子でも国際関係でも同じ
しかしそうした正義は
仏教的には
ただの言葉、観念にすぎない
その心にどんな反応(心の動き)があるのかを
正確に見つめるのがブッダの思考法
この4つの心掛けは
誰でも持っているにも関わらず、
学校でも社会に出てからも
はっきり教わる機会はない
よって人は気づかないまま生きている
その結果どうなるか
反応してしまう人生
家族には、自分の都合わがままをぶつけて
相手が苦しんでいるのに気づかないふり
自分の評判、成果、収入ばかりを追いかけて
周囲の利益は後回し
一人になれば
自分にプライド
勝ち負け、優劣をやたら気にする自分がいる
怠惰と快楽にふけりながらも
心はいつも満たされない
過去の失敗も蘇る
将来に不安も感じる
心はどこか渇いている
でもどうしたらいいかわからない
これらをリセットするには、
心を見る(反応に気づく)
そして「正しい4つ 慈悲喜捨」を
モチベーションにすえる
【みんなよく頑張っているなで世界が変わる】
ある男性
足の引っ張り合い
同僚が病気・失敗をしたら
内心ほくそ笑む
著者は「悲の心」を向けるように言った
熾烈な競争を強いられる環境の中で
自分が我欲(勝ってやる)で反応すれば
あっという間に心は怒りで焼かれてしまう
仕事をやめるのも方法の一つだが
その前にやってみる課題がある
「正しい動機にたつ」
この場合だと、職場の人達は
安らぎをしらない
自分の仲の上昇欲・プライド・虚栄心で
日に煽られるように働いている
ストレス・疲労・猜疑心でいっぱい
そうした人の苦しみをまずは思いやること
理解すること
「みんなよく頑張っているな」
もし、そう思えたら
世界は少し違って見えるかもしれない
悲の心に立てば、なぜか「つながり」を感じる
「生きることはラクではない」これは「実感」
ただこれが、人生の結論ではなく
「ここから苦しみのない人生を作っていこう」という「出発点」
ブッダは、「その苦しみを超えなさい」ちおう前向きな希望を語っている
「自分だけではない。人はみな苦しみを抱えている」
この世に生きるすべての人達
家族・職場・電車に乗る人、道ですれ違う人
テレビで見かけるあの人も、
みながそれぞれに苦しみを抱えている
もし、この真実に目を開くことができたら
苦しみはちょっと和らぐかもしれない
自分だけだと思っていた孤独感が
少し溶けて癒されるかもしれない
人はみなそれぞれの現実を精一杯生きている
そういる理解にたったときに
人は新しい人生を歩み始める
悲の心はそれくらい大きな力を持っている
男性は慈悲喜捨を知っただけで
気分が落ち着き、職場がそれほど苦痛でなくなった
「心の持ち方」を知るだけで
反応の中身が変わる
【お役に立てればよし】
慈しみとは
他者の幸福や利益を願う心
そこから「貢献が大切」「役に立てればよい」という
思いが生まれる
喜びの心に立てば
人の喜ぶ顔をみたときに
自分も幸せを感じられるようになる
誰かの喜びにはもっと意識して
自覚的に反応したいものです
悲の心に立てば
相手の苦悩を最初に見るという発想を持てるようになる
相手を苦しめること
損害を与えることは「してはいけないこと」という自戒が生まれる
貢献すること、もてなすこと
役に立てることは、
慈と悲と喜の心です
本当はそれだけで十分、働く動機、生きる意味になるのではないか
人が煩悩、我欲、怒り、妄想に執着すれば
必ず苦しみ、満たされなさが生まれる
勝ちたい・手に入れたいという欲求は、
勝った自分・手に入れた状態を思い浮かべるが、それは妄想
妄想を欲求で追いかけだした時人は自分を見失い
本来の生き方、よき心の状態を忘れてしまう
多くの人が正しい生き方を忘れてしまう
だからブッダは目を覚ましなさいと説く
自らの反応を見よ、反応に気づけ
そして、自分を苦しめる反応を解消して自由になりなさいと語りかける
もじ慈悲喜捨を
生きる目的にすえるなら
競争社会の中で、欲と怒りと妄想にかられて生きていた自分から
すこし自由になれる
【5つの妨げに気をつける】
うまくいきないとき
失敗するときはたいてい次の5つが原因になっている
だから気をつけるとブッダは言う
①快楽に流される心
②怒り
③やる気の出ない心
④ソワソワと落ち着かない心
⑤疑い
①快楽
映像・音・におい・味・触覚など
五感の快楽に流れる心
テレビ・マンガ・ネット・グルメなど
適度なら問題ない(心が快楽を得るうえで必要な範囲)
しかし、自分をコントロールできないならまさに妨げの状態
②怒り
イライラして手がつかない
③やる気の出ない
嫉妬は実は相手が原因ではない
なぜなら、もし自分が同じくらい認められていたら、嫉妬にかられることはないから
その怒りの原因は、認めてもらえないという
自分自身の承認欲の不満にある
ということは本来相手は関係ない
関係ないのに怒りをぶつけるのは八つ当たりと同じ
嫉妬の根底には承認欲があるとすれば
承認欲を満たすにはどうれうばいいかは
「自分が認められるにはどうすればいいか」を考えることがすじ。
その不満を相手にぶつけるのは、思考のミス
