心に響いた珠玉のことばを読んだ感想

この本は、小林正観さんが
とくに感銘を受けた偉人たちの言葉を紹介されています。

ただ、紹介しているだけでなく
偉人たちの、当時の背景、生き方を詳細に数ページにわたり紹介されています。

おそらく、相当な量の資料を読まれたうえで書かれています。
そのストーリーの部分を読んでいるだけでも、面白いのですが、

そのストーリーが終わった後に、正観さんの考えを読むのがまた面白い。
正観さんは努力しなくていいという根底敵な考えをもとに、
宇宙法則になるのではないかという視点の考えが、
まさに、偉人たちの言葉にピッタリとあてはまっていくところが
妙に爽快でもあるのです。

さて、正観さんの集めた言葉は22個ですが、
正観さんいわく、ここに記した22個というのは、
「努力しなくていい」「今のままでいい」「人生はシナリオどおり」という
ニュアンスで考えたときに、選別された22個だそうです。

正観さんの本に登場する偉人たちの、詳細なストーリーや背景を知りたい人には
おすすめの本でしょう。

以下に、もくじと、私がメモした点を紹介しておきます

もくじ

三浦綾子の言葉
神の領分

ソクラテスの言葉
良妻をめとったものは幸せものになれる 悪妻をめとったものは哲学者になれる

釈迦の言葉①
一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

釈迦の言葉②
利行

釈迦の言葉③
五蘊皆空

空海の言葉
人の短を言うことなかれ己の長をいうことなかれ

徳川家康の言葉
水はよく舟を浮かべ水は よくまたその船を覆す

河井寛次郎の言葉
鳥が選んだ枝 枝が待っていた鳥

親鸞のことば
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや

一休さんの言葉
極楽浄土はみなみにある

水戸黄門の言葉
吾唯足るを知る

フロイトの言葉
精神科医に必要なものは言葉だけである

良寛の言葉
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、これはこれ災難をのがるる妙法にて候」

孫氏の言葉
「百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」

正岡式の言葉
悟りとは平気で死ぬことではなく平気で生きることである

ゲーテの言葉
死を克服したものは明るく美しい生き方になる

マザーテレサの言葉
生死にこだわっているわけではありません
人生の終末に当たり人間に生まれてきてよかったと思ってもらいたいのです

キリストの言葉
病めるものは幸いになり
貧しき者は幸いになり
弱き者は幸いなり
天国は彼らのものである

キリストの言葉②
裁く者は裁かれる 裁かない者は裁かれない 許す者は許される 許さない者は許されない

天皇の言葉
私の体を通して空にしてください

良母さんがある時人から頼まれました
災難に合わないで済む方法は無いだろうか
それについて書いた手紙が残っています
災難に遭う時せずには災難に遭うがよかそうろう
死ぬ時節には死ぬがよかそうろう
これはこれ災難を逃れる妙法にてそうろう
災難に合いそうになったら会いなさい
死にそうになったら死になさい
これが災難を逃れる最良の方法だというのです
この話をあるところで紹介したところ
な-んだ それは災難を災難だと思わないってことじゃないですかと言いました
全くその通りです
災難に合いそうになったら
逃れようと思わないであってしまう
死にそうになったら遠慮なく死んでしまう
そしたら災難が災難でなくなるということなのです
素晴らしいひと言です
仏教というのはたぶん受け入れることだったと思うのです
自分の望みや希望に執着をし
それを実現する方向で頑張るのではなく
流れてくるものを受け入れて執着しないこと
災難に遭いたくない死にたくないということも
その欲求に入ると思います
その欲求までも0にして
災難に遭った時には
そのままそれに従えばいいではないかというのが良寛さんの考え
災難を災難と思わなければ良い
死ぬことさえも死ぬと思わなければよい
ただそういう時には安心して死ねばよい
これが災難を逃れる妙法だと
良寛さんは言った
つまり災難を災難だと思わなくなるということ

三浦綾子さんは自殺を考えていた当時の自分のことを
こう書いている
あなたの病気は治ります
そして30歳を過ぎて
一人の男性が現れる
その人はあなたに結婚を申し込む
彼は真面目なクリスチャンで
あなたもキリストを信ずるものになる
それから5年後
1000枚の長編小説を書き
この作品が入選して1000万円の懸賞金をもらう
そして少なくとも70歳までは生き
70冊近い本を出すことになる
私はこれを聞いて冗談として聞き流すか
あるいは腹を立てたかもしれない と三浦さんは言った。
氷点という小説が 入選したとき
三浦恵子さんは主婦でした
ただの主婦が書いたものが
セミプロ級の物書きが応募したものの中から選ばれて
第一位入選となったのです
本当に誰が予想したことでしょうか
そう未来にどんなことが起こるなど分からない
その時生きられる時は懸命に生きましょう
これがいいと言われたら
素直にやってみる
こうすると体が良くなるよと言われたらやる
こうすると体が楽になるよと言われたらやる
やることはやりますがそこから先は神の領域なのです

ソクラテスの哲学というのは唯物論的なものではなくて
神や宇宙が世の中の仕組みを形作っているというような考え方に立脚していました
ソクラテスの口癖は 神のみぞ知るという言葉だったのです
その当時多くのソフィスト達が
色々な知識を披露して尊敬を得ていました
しかしソクラテスは何も知らないのに物事を語っていると唱えました
そして無知の知
つまり何も知らないということを知ってしまったと説いたのです
物事を知っているようなそぶりで
大衆に説教する人たちをソフラテスは批判しました
何も知らないのに知ったようなことを言っている
その結果としてソクラテスは ソフィストたちから憎まれ
ついに裁判にかけられることになります

仏教の言葉に利行がありますこの利行には隠された凄い効果があるのです
ある人がこんなことを話してくれました
営業マンが百人ほどいる会社で
彼は はじめはナンバーワンの成績を上げたそうです
ナンバーワンになり有頂天になり
気がつくと80位まで順位が転落していました
あまり歩きまわることもなく
お得意様を大事にすることもなく
気がついたら下の方になってしまったのです
そこから色々試してあがいてみたが
なかなか浮かび上がれない
ある日上司からこんな事を言われた
このままの成績だったら
後二か月後にはやめてもらうことになる
その人はこんなことを考えた
そうか二ヵ月後に辞めるんだったら
自分の成績をこれから上げるのではなく
今忙しく飛び回っている先輩後輩
同僚たちのサポート しようと考えた
そして実際に二か月かやり続けた
すると 二か月の間に不思議な事が起きました
今までの客とは全く違う新規のお客の大口契約が入ってきたり
神業としか思えないようなことが次々と起きた
他人のサポートを始めたら
これまでは周りにサポートされていたのは自分であったということにも気が付いた
すると二ヶ月後気づいたらまた一位になってしまった
一位になることがいい一位になりなさいと言いたいのではありません
自分の成績を上げようと思っている人は
宇宙的な応援をなかなか得られないということ
お釈迦様は2500年前にそれを知っていたつまり利行という言葉
このようにすると多くの応援支援が得られますよ
もし自分の仕事がうまくいかない
自分の夢や希望が実現しないどうしたら自分の思いが実現できるかと考えていた人は
方向が間違っていたのかもしれない

オーストラリアの精神科医フロイト
彼はこんな言葉を残しています
医者に必要なものはメスとか
手術台とか病室とか
薬とか病院である
しかし精神科医に必要なものは言葉だけ
患者を言葉によって真っ暗闇に突き落とすこともできるし
天国に登らせることもできる
言葉はそれほどに重要なものであると唱えた
また別の人が言った言葉で
よい言葉に出会うことは良い友人に出会ったのと同じである
という言葉もあるようです誰が言ったかは知らないとのこと

ゲーテの一言は本当に宇宙の真実や法則を伝えてくれているような気がします
その人間観察の結果
ゲーテの中から出てきた言葉が
何らかの方法で死を克服したものは
明るくて美しい生き方になるというものです
例えば死ぬような病気をした
死ぬような事故を起こした
それを乗り越えることができた
そのまま放置しておいたら死んだかもしれないような深刻なものであったけれども
周りの人の協力や
いろいろな偶然 の積み重ねとして命をながらえることができた
そういう人はどうも生き方が明るくて美しいものになるらしいとゲーテは見抜いた
その問題を乗り越えたら
どうも悟った人になれるようなのです
ゲーテはもちろん悟ったという言葉は使っていませんが
意味としてはどうもそのあたりを言っているような気がします
いつ死ぬかもわからないという現実、現象を突きつけられたとき
人間は生き方が少し変わってくるのかもしれません
お金を必要以上に設ける事も
命の前には何の意味もないことに気がつきます
周りを大事にし
それから自分自身を大事にする
一つ一つのことを丁寧にする
もう2と同じことをするチャンスがないかもしれないとしたら
頼まれたことを本当に丁寧に誠実に心を込めてやる
そういう生き方になるのかもしれません
ゲーテの言う言葉が本当だとしたら
死にかかわるような病気
あるいは死にかかわるような事故に遭うことが
決して嫌なことやいけないことではないことに気がつきます

通常の食生活の中で特に贅沢をしてこなかった人が
たまに贅沢をした時には
とても大きな喜びを感じるに違いありません
ところが贅沢な食事を毎日していたら
それよりもレベルの下がったものは
ただ物足り物足りなく感じるかもしれません
そういうひとつひとつのことを挙げていったら
貧しい人のほうが
ずっとずっと喜びが大きいのかもしれません
生涯の喜びの幸せ度ということでいうと
貧しい人の方がお金に恵まれている人よりも
遥かにたくさんいただいているのかもしれないのです
まったく病気をしないで
健康に一生涯送ってきた人と
病気をしながらああこれも幸せだった
これもありがたかったと言いながら
感謝や喜びを上乗せしてきた人の人生は
ひょっとすると後者の方が感謝と喜びの総量がものすごく大きいものになっているかもしれません
そういう目で見ると
病めるもの弱者が
じつはどれほど恵まれているかということに気が付きます
表面的なものを見て
私はついてないと考えたり
病気がしながら
私はアンラッキー
神様に見放されていると思うこれは全く逆かもしれない
病気がちの身体を与えられたがゆえに
身近なものはちょっとした幸せに喜びを感じありがたさを感じる
そういう意味で
一人の人の幸せ度や
有り難みを総量で考えた時
一生涯の喜びと幸福度は
一生涯健康で生きてきた人より
ずっと大きいのかもしれないのです
人の上に君臨し人を支配する強き者というのは
いつも他の者を意識しながら
強くなければなりません
弱き者はちょっと何かを手に入れたり
誰かに味方をしていただいたり
応援されると本当に嬉しく幸せになるのです
やはりそれを考えていくと
弱きものは人生の中で感じられる幸福度
感謝度というものが
とても大きいのかもしれない
キリストはそういうことがわかってこの言葉を残したのではないでしょうか