われ、ただ足るを知るを読んだ感想

感想

この本は対談形式になっております。
お人方は、板橋興宗老師(曹洞宗館長)
もう人方は、有田秀穂さんです。

有田さんセロトニンを、脳の幸せホルモンとして広めた立役者です。
そんな有田さんのが文章について、老師がコメントされたことをしり対談にいたったようです。

本を読んでわかったのは、お坊さんが日々の精進のなかで行われる、坐禅や読経にセロトニンをあげる効果があることを、有田さんが切り込んでいくというもの。

そして、セロトニン不足という現状が、現代の切れやすい人や、不安から逃れられない人、うつ、パニック障害などの原因となっている。

そのために、坐禅、読経だけでなく、
セロトニンが出る秘密となったリズム運動でセロトニンが整うということを広めたい、という有田先生の気持ちが後半に強く出ていましたね。

老師については、私も仏教の本を何冊か読んでますが、さすがといったところ。
自我というものがほとんどないのではないでしょうか。

本を読む前は、「吾唯足るを知る」の言葉を知ったつもりでいました。

しかし、老師の「ただ足るを知るを、自分に言い聞かせても、それは理屈で抑え込んでいるに過ぎない。本当の足るとは、自分の素直におきる感情に良し悪しをもたず、ただ、今の一呼吸一呼吸に足るを感じるだけ(意訳)という点に、禅の真髄も感じましたし、老師の人柄も感じ取ることができました。

私も、人に仏教の話をすることがあるので、著書の内容を参考にしながら、「足るを知る」をわかりやすく紹介できたらなと思います

以下、メモをした点です。

座禅未経験者でもα派が出る(緊張・不安がとれる、結構元気になるという声)
高僧はθ派が出る
覚醒時はβ派

α派は大脳の働きを抑えた状態
θ派→眠りに近い

座禅は腹式呼吸が大事
丹田に意識をしながら、腹式呼吸を続けると、脳に変化が起きる

大脳の働きを抑えた状態とは、理性的に考えることが外れる(自分とか…他人とか)

目をつぶるとα派が出る、その状態を続けるとθ派が出る
座禅は基本は半眼なので、覚醒は維持した状態

瞑想の瞑の字は、暗いという意味がある、また訓読みでは「つぶる」と読むので、昔は瞑想中は目をつぶっていたのではと、板橋住職は言う

α派にはα1 と α2がある
座禅をしているとα2が出てくる

瞑想の始まりとしては、最初は呼吸を意識する
すると、やがて呼吸は意識しない
老師自身も、瞑想中はあれこれ考える
「無心になろう」なんて思ってなれるものではない
そもそも理性の回路、無心の回路は別
自然に理性が外れるのが理想だが、これが難しい

西洋の文化が自我の肥大をもたらした
西洋はI(私)が必ずある。
ほんとは私が見ているのではなく、現実に見えているだけ
見えている事実が、そのまま私

解脱とは悟りのこと

セロトニンを調べるラットの実験
ラットのドーパミン神経の部位に電極を入れる
脳は痛みを感じないので表面だけ麻酔をすると脳の中に電極を置いておくことが可能。
その電極の先がドーパミン神経に当たるようにしておき、ケージの中にスイッチを置く。
やがってそのスイッチにラットが触れた時の反応を見るとどうなるか。
もし、「痛い」「嫌だ」とラットが反応したのなら、二度とスイッチに近づかなるはず。
しかし、ラットはスイッチを触り続けて止まらなくなる。
千回、二千回でも触る。
これはドーパミン神経の刺激によって快感を覚えた証拠。
またアメリカの囚人で同じことをしたら快感を覚えた。

ドーパミンは生きるうえで必要「快」「性」と結びつく
ドーパミンがあるから、美味しいが存在し、そのおかげで食べる

ドーパミンの問題点は止められないこと
止めるのがセロトニン。

ドーパミンは他にも、報酬を得たい、好奇心を満たしたいという欲も出す

ドーパミンが「快」の神経だとしたら、不快の神経はノルアドレナリン
ノルアドレナリンが暴走するとパニック障害、こちらもセロトニンが抑制

セロトニンを活性化するには、座禅や読経
セロトニンが下がると、依存症になる
依存症は、薬、過食症、拒食症、摂食障害、パニック障害、うつなど

脳で一番発達しているのは前頭前野

工事現場で、杭が脳に刺さり、前頭前野を破壊された人がいる
手術で日常に戻れた。喋れるし、歩けるし食べられる
しかし、計画的に何もできなくなった
相手の心が読めなくなった
誰か何を考えているのかわからない

ねこには(明日・昨日など)時間の観念がない
ただ事実があるだけ。これは悟りの心境と同じしかしねこにその自覚はない、海の中の魚と同じ

人間は脳が発達したがゆえに、物事を比べることができるようになった。
同時に比較することで「もっともっと」を際限なく求めてしまう。

悟りの獣=幸せの獣(きこりの話)

セロトニン神経が変化するには、遺伝子のオンオフが必要。
そのためには、繰り返しの刺激が必要

般若心経の最後は、ぎゃーてーぎゃーてーとあるが、
これはインドの言葉に漢字を当ててそのままの音で翻訳した。
それが日本に入ってきた
この部分だけはインドの音そのもの。
般若心経を訳した人があえてそこだけ訳さなかったのでは?というのが老師の考え

意味もわからず淡々とやること自体が般若心経を行っていること

聖書はラテン語で書かれたものを訳したら、
ありがたみがなくなって効果が薄くなったと言われている

経典の内容がわかりやすいところになると、α派が減った
しかし、韻を踏むところ、南妙法蓮華経の繰り返しになるとα2波が増えた

念仏、ひたすら題目のときは言語野の働きを抑えてリズムによってセロトニンを活性化

四大聖人 釈迦、キリスト、孔子、ソクラテス
みな、自分の言葉を自分で残していない
ソクラテスはプラトンが。
孔子は孟子を始めとした弟子たち
キリストはバイブルとして残っている

釈迦はカウンセラーだった?!
人の悩みを聞いて、あなただけではない、世の中を見れば、死別をした人など1人もいない
悲しいのは当然だけど、いつまでも悲しんでいると体に良くないし、なくなった人の供養にもならないからそのへんにして新しい道を歩きなさい。大丈夫だよ。とカウンセラーのようなことをしていた。

飛鳥時代から奈良時代の初期にかけて
日本に仏教が入ってきた
立役者が、聖徳太子
この頃は、国を治めるために仏教が取り入れられた。
しかし平安時代になると、民衆のために祈るべきという思想の空海、最澄らが登場

南無阿弥陀仏は600年唱えられるうちに、ナンマンダーという三拍子になった

声明
仏教の法要や儀式において、僧侶が経典や真言に節(旋律)をつけて唱える仏教声楽・音楽のことです。古代インドの言語学・文法学(五明の一つ)に由来し、中国を経て日本に伝来した「最も古い日本の音楽」の一つで、現代の邦楽や伝統芸能の源流とも言われます。

悩みは言語脳が働いている(理性的)
しかし、お経を唱えると悩みの思考はとまる
例えば、亭主にいらっときたら
「バカバカバカ…」と唱えるといい
10分もしてくると
「バカバカナンマンダ…」
「バカナンマンダ」に変わってくる

腸内のセロトニンには血中には出ない
脳内のセロトニンは血中に出る
血中に出ると血小板に取り込まれる

セロトニン神経を英語でハピネス神経という

読経を「読む」と表現するのは間違い
本来は「経を行ずる」という

数学教授「岡潔さん」はある数式を考えていて、つまづいてハッとひらめいた

ハッとすると(悟り)セロトニンの活動がゼロになる(これはレム睡眠と同じ状態)
ちなみにレム睡眠は夢を見る状態

足るを知るの「足る」とは、頭を言い聞かせているに過ぎない
(現状の老師は)おいしいものはおいしいし、
人並みの欲はあるけど、今の一呼吸一呼吸の中に足りている。
「理屈で足る」は本当の足るではない

言葉にする前に、心臓はドキドキしている、表情は変わっている

良寛さんは悟っていた
規則も作らず、寺もなく、弟子も持たず、法を説いたこともない

脳波を変えるのは音

非思量とは、頭で解決するまえに、体で直にわかっていること
非思量で笑うのと
思量で笑うのとは脳の回路が違う
非思量は、左右対称の笑顔になり、ほほえみという表現が妥当
思量は、左右非対称になる。人にあって挨拶するのは思量の笑顔

自殺しよとしている人に口で言ってもムダだが
自殺しようとしている人でも思いとどまると言われている像
京都太秦にある広隆寺弥勒菩薩

岸根卓郎
西洋の文明と東洋の文明が800年ごとに交代する
さらに、次に東洋の文明の時代が来るのは今から数十年後(2008年の本)

今後注目を集めるのは老師、孟子
仏教は釈迦の直接の言葉がない。なので釈迦と同じ息づかいで生きる「禅」が注目される

江戸時代からの統計で一番長生きをするのは坊さん
なかでも、禅僧が最も長生き

セロトニン神経は、老化でも鍛えられる

メラトニンは老化防止効果(活性酸素の除去)
メラトニンが作られるのは太陽が沈んだ後
電気を消すと、松果体からメラトニンがバーっと出る

いつの時間帯に寝ても、睡眠は同じという見識は間違い
なぜなら、メラトニンは、日が沈んでいるときしか出ないから。
真っ暗な部屋にしてもダメ。
太陽と同調したリズムがある

セロトニンは、姿勢とも関係がある
姿勢筋、抗重力筋に影響を与える

お釈迦様も、道元禅師も、
結局は自分が元いた極楽にいたことにきづいた。

芸術家の仕事に計算が入らなかったら、それは芸術であり、それを三昧という。
三昧とは、仕事と一つになっていること。
草むしりなど、仕事しているときのほうが三昧に入りやすい
動いていることは、体も一緒にやっているので我を捨てた身心一如の集中状態に入りやすい

「身心一如(しんしんいちにょ)」は、心(精神)と身体は切り離せない一体のものであり、両面で一つの存在であるという、仏教や東洋医学の根幹的な考え方です。精神の不調が身体へ、身体の不調が精神へと互いに影響し合うため、健康維持や治療には両面の調和が不可欠とされます。

「なんでこんなことをしなくちゃいけないんだ」という考えがよぎると、すべてがダメになる
セロトニンが出ないし、ストレスホルモンが出る

15歳で自殺した 藤村操

自殺者の脳を調べたニューヨークにて
損傷があったのは、前頭前野の一番外側。ここは、切り替えの能力
ここが弱ると、自殺を起こすというデータがある

お年寄りに「何が心配か?」とたずねると「老後が心配です」という

男の脳が出来上がるのは、生まれる前の胎生期に男性ホルモンが出るようになりそれが脳を変えている
脳を変えられるのは生まれる前後だけ。
そこをすぎると変えられない

同性愛者は、胎生期に出るべき男性ホルモンがちゃんと出なかったので女性の脳ができた

線維筋痛症は、全身の骨格・筋肉に激しい慢性痛、強烈な疲労感、不眠などを伴う原因不明の疾患で、患者の多くは精神疾患を併発する。炎症や組織破壊は見られないが、脳の機能障害(痛み神経の過敏化)が疑われており、女性に多く発症する。

線維筋痛症は、セロトニン不足が原因かもしれない

セロトニンは免疫には関与しない
心療内科の池見酉次郎さんの本で
ただの水を「うるし」といって塗るとかぶれることがあった。
そういう例がいろいろ出ていた
水をお酒と言って飲ますと、酔うこともある

坐禅、素人には目を瞑らせないほうがいい
理由は寝てしまうから、それと悩みがある人では雑念がわくから

かつての日本(江戸時代)は鎖国したのは、宗教上の理由だけでなく、国を侵略されるかも知れないと、他国の例で気づいたから。
そして戸籍の調査のために寺を増やし、檀家制度を設け、寺が戸籍を管理していた

足るを言い聞かせている間は、道徳の範囲
そうではなく、体が直に見聞き(非思量)、感じているのが命。その命に良し悪しの判断を入れず感じていることを「足る」という

植物にとって一見良すぎる環境はかえって良くない
少し足りないくらいでいい(宮脇さん)
密植ほどよい。お互いに競い合うから

介護の問題点はできないからやってあげる点
しかし、やらなくなると、人間の体はさぼる(退化する)

アスファルトと砂利道では、脳の使われ方が違う、歩きにくいが大脳、小脳、脊髄が調節してくれる
脳を使うことは、結局、脳を若々しく保つ

ヨーロッパ人が日本に来てびっくりしたことは、「日本は誰も監視してないのに、悪いことをしないこと」

タッピングタッチ 中川一郎
「あと3か月」の人に対し、言葉はかけずにトントンするだけ。
気持ちが安らぎ、心を開く

「お坊さんは重病人でもう命がないことを知った人にどんな説法をされますか」老師の答えは「まだわからない」ただ、側に居てあげる、いっしょに音楽を聞いてあげる
キリスト教の場合は、牧師が「懺悔をしなさい。懺悔をすると天国に行けますよ」というと、本当に病人の顔色が変わる

昔は、医師の過失にまだ寛容だった
結果に至るまでの努力や誠実さを大切に高く評価していた。
しかし今はすぐに訴えてお金に換算するようになった。
その結果、救急車を断る医師も増えた

コンピューターの教育は、師匠(先生)の態度、しぐさまで学ぶことができない
非言語コミュニケーションが育たない