本多勝一さんの
極限の民族集9という本を読みました。
どうやらこれは、新聞に掲載されたものを集めたもので、ものすごくボリュームがありました。
600ページあります。
この本は実用書というよりも、
本多さんの探検日記ですね。
注意しなければならないのは、
1994年に発行されているので、やや情報はやや古いですね。
しかし、ものすごく貴重な本だと思います。
この本で探検されているのは、
エスキモー
ニューギニア高地人
アラビア遊牧民
の3部です。
さらに、わりと丁寧に細かいところまで記録されています。
各章の冒頭では、登場人物(顔写真付き)があるので、話にのめり込みやすく、さらにページごとでの挿絵も多いです。
この本をおすすめしたいのは、探検、冒険などの本を探している人ですね。
まさに行った気分になります。
ただしあくまでも、旅行気分ではなく、極地での記録というイメージに近いでしょう。
旅は視野を広げるといいますが、
極地での生活を知ることによって、なにかしらの気づき(たとえ読書であっても)を得るに違いありません。
また、2,3日の滞在というわけではなく数週間、数カ月での滞在となっていますので、各部族の暮らしぶりを垣間見ることができます。
また、人種の違いだけでなく、
その中での個人の性格の違いなども細かく書かれていたのが、のめりこめる点ですね。
以下、メモした部分です。
エスキモーの挨拶はできるだけ嬉しそうに笑い続けること
(エスキモーの犬への態度を新聞記事に載せて、一部反感があったことに対しての意見)
どこにでも愛犬家といわれる人々がいます。
それ自体は大変良いことだし、私自身、犬は大いに好きです。
ただ、もしその愛犬家の方々の中に、エスキモーの犬に対する態度を知って怒り狂う人があったとすればそれは全く的外れです。
最も常識的な点から説明しますと、私たち人間といたしましては、やはり犬よりも人間を大切にすべきであります。
中には犬にも劣る人間もありますが、それでもやっぱり、利口な犬よりも無能な人間の方を大切にすべきなのです。
コレは比較の問題ではありません。
人情だの善意だのとは関係なく、鉄則であります。
価値以前の約束なのです。
ヒューマニズムには、これが生まれた時代の文化主義的な意味もありましょうが、何よりも人間が優先するという素朴な意味こそ第一の条件です。
南極で越冬した人間と犬とを救出するとき、犬がどんなによく働き、役立ったとしても、まず人間を先に救出するのは当然です。
途中略
残念ながら犬を捨てなければなりません。犬を捨てるのがヒューマニズムであって人間の方を捨て犬を救出するのは奇妙な美談にはなりますがヒューマニズムにはなりません。
エスキモーは犬に厳しい態度を取るから犬は反抗しませんが、私たちのように甘い態度を示すとたちまち反抗し言うことを効かなくなります。
ソリイヌはいかなる時でも忠実に命令を効かなければなりません。
命令は芸をさせるためではなく思い反りを引かせるためです。
残酷な記事を載せないでという手紙が届きました。
やはりここでエスキモーは残酷ではないことを説明しておかないと誤解されっぱなしではエスキモーのためにすまない気がする
エスキモーの生活と物の考え方についてできるだけありのままに伝えることがこの記事にの狙いでしたきれいごとばかり並べたり、逆に残酷物語にするのではなく、狩猟民族の世界をそのままの姿で示したいのです。
生肉で食べるのも、単に燃料がないためではない。野菜や果物が皆無の生活では、生肉こそビタミンC補給の唯一の手段。
にたり、焼いたりすれば、ビタミンは破壊されてしまう。
エスキモーには壊血病がない。
フロイクンによると、もし一人の女性だけに愛着している男があれば、エスキモーの間で笑いものになる。
女性の側でも、大勢の男性に喜びを与えるほど名誉に思う。
長期の狩猟の旅には、夫婦で出かけることが多いが、もし妻が病気や育児で出られない時は、近所の他人の妻を連れていく。
妻を貸した男性は、別の妻と居留守中同棲する。
配偶者交換は、妻に 内緒で交換(びっくりさせようと、夜までだまっておく)することがある。
「あかり消し」という人気の遊びもあった
一軒家の家に、何組もの夫婦が全裸で集まる
あかりが消されると、誰も一言も喋らないで、自分の位置をあっちこっちかえる。
合図と同時に、互いに一番近い男女がカップルになる。
エスキモー飢餓の話は有名である
寝具の毛皮を食い、苔を食い、死人の肉を食いながら倒れていく話。
フランクリン探検隊の最後もそうであったことが明らかにされている
ニューギニアの高地では、親や子どもなどの親族が死ぬと、女は指を切って、死者に哀悼の意を表する習慣がある。
これは習慣であるからいやでもなんでも切ることになっている。多い女性で8本の指を切っていた。
もともと一夫一婦制度自体が、人類の中では一つの社会現象に過ぎない。
一夫多妻と言うとイスラム教圏が持っとも有名だが、未開社会ではかなり多い。
江戸時代までの日本のように限られた権力者が大勢の妻を持つこともあった。
「アラペッシ族」
幼児は母親から徹底的に可愛がられ、
長期間保護される
父親さえそれに引きずられ、妻の出産後は仕事を休み、他の妻との性交もつつしむ
乳房は乳児が欲しがらなくたって、常に含ませられる。
こうして育った男たちは協調性に富み、隣人への思いやりが深く、一方消極敵で、支配欲はなく、戦争を嫌い、変態性的性交を嫌い、性欲のオーバーな女に不信の念を抱き、狩猟の時は罠を掛けて獲物がかかるのをまっている
「イアトムル族」
乳児が泣きわめいた後でなければ授乳されない
それだけ欲求が強くなる
歯が生える頃になると硬い鳥の骨が与えられ
さらに次の欲求を起こさせる
書くて成長した男たちは自己主張が強くなり、好戦的になる
性的にも男女が積極的に求めある
「ムンドゥモ族」
母親たちは、育児が嫌いだし、子どもを好かぬ。
赤ん坊はめったに抱いてもらえず、乳も立ったままで与える。
まだ満足するほど飲まないうちに、乳首を口から引き抜いてしまう。
かくて成長した男女はすべて、怒れる若者たちになり、強烈な欲望の権化となる
性的行動は賞金をかけた第1ラウンドのように猛烈で、前戯には引っ掻いたり噛みついたりが普通。戦争ともなれば捕虜を食い尽くす。
あんまり怒り狂いすぎて、自分自身に腹を立て、隣部族に行ってわざと食われてしまった男もあるそうだ。
自然人類学的には、モニ族もダニ族もほとんど違いが認められないのに、社会形態や文化が違うと、同じ部落にいながら、故人の性格がこの様に違ったものになる
日本と中国人の間にもまったく同じ現象が見られる
私も、あなた自信も、すでに日本的性格に骨の髄まで支配されている。
豪華な首飾りよりも、安物のガラス玉のほうを欲しがる。
彼女らが安物を欲しがるのは、みんながそれを使うからである。
いくら良いものであっても、自分一人が持っているだけでは価値が出てこない
他人も欲しがるものでなければならない
イスラム法では、公法が非常に不完全
例えば罪人の処刑は司法官が決めるのではなくて、第一に被害者が決定する権利がある。
ここから「目には目を」方式が実行されることになっていく。
サウジアラビアのワハブ宗は、
イスラム教の中でも戒律が厳しい
ある時代では、
泥棒はただちに右手を切り落とされた、再犯は残った左手、三犯は右足、四犯は左足。
詐欺をすれば舌を切る
殺人者は首を切られた
強姦も首を来られる、女は下半身を地面に埋められて、群衆による石投げの系で殺される
砂漠の旅では、喉がすごくかわき、大量に水を飲む
1日10リットル以上は飲むのに、トイレは1日1回
ほとんど(汗)になる
