どちらかというと、スピリチュアルよりのお話でした。
小林正観さんが言われていることと、いくつか重なっているところがあり、
「いいこと言っているな~」という印象でした。
さとりといっても、「あれをしろ」「これをしろ」というものではなく
もう、すでに悟っている。
すでに、神さまからみな愛されている
その愛を生きることによって、神さまからの
寵愛を受ける(つまり運が良くなる)というような
収まりかたのような気がしました。
基本的には、みな、励まされるような内容だったと思います。
序章では、著者が昔うまくいかなかったことが書いてあるので、
多くの人が共感を得やすいと思います。
以下、参考にした点をメモしています。
自分の人生は間違っているのではないか
隣の人に比べて劣っているのではないかと
比較が生まれ
嫉妬が生まれ競争が始まります
そもそもそんな目的地などどこにもありません
人生は目的を達成するための手段ではなく
生きるということ自体が目的なのです
だから失敗もあり得ません
失敗の人生も成功の人生もないのです
今の自分の人生がどのように見えたとしてもそれでいいのです
今までもずっと完璧だったしこれからもずっと完璧です
人は皆
自分が正しいと思っている
従って相手の間違いを指摘しても相手に届かず
相手の非難は愚の骨頂である
と本に書いてあった
追い求めていたその次元は
どこか遠くにあるのではなく
まさに僕たちの目の前にいや
目の前ほどの距離もなく
僕たち自身として
いつも共にあったのです
あまりにも当たり前すぎて見過ごしてきた真実でした
それはちょうど海の中に生まれ
海の中に死んでいく魚たちが最後まで海の存在に気づかないのと同じで。
僕たちは真理(神) の海の中に生きていたので
悟りを経験すると、どんな人になると思いますか。
例えば 穏やかで感情の起伏が少ない
誰にでも優しい。
いつも微笑みをたたえている。
落ち込むことがない
物欲がない
性の衝動を超越している。
常に寛容的
その他もろもろ
多くの人は目覚めや悟りに対してこのようなイメージを持っています。
そして無意識にそんな人間になろうと努力するのです
なれるのなら努力してもいいですが、実際には僕たちはそのような人になれませんしなる必要もありません。
なぜなら悟ったら、このようになるであろうというイメージそのものが間違っているからです。
悟と人の評価にあまり関心がなくなり
自分の心のままに生き出すので、多くの場合、変人に見られます
言いたいことを言いやりたいことだけをやりだすと思います
しかし、それも個人差があり、
こうなるとは言い切れません。
少なくとも高潔で聖なる存在でないことだけは確かです。
では目覚めたらどんな人になるのでしょう
その答えは簡単です。
その人自身になるのです。
悟りとは今のままの自分でokだということを知ることです。
自分ではない何かになろうとする態度こそが悟りを遠ざけています。
少なくとも あるがままの自分にはリアルなものがあります
完璧であろうとする努力をやめれば、
物事は自然に落ち着くところに落ち着いていきます。
自分以外の誰かになるのをやめ
あるがままの自分にきづいた時、
心に平安が広がります。 それが悟りです
夜眠る時も寝易いように準備するでしょ
部屋を暗くしたり。 目を閉じたり、それと同じです
悟りのための日々の準備は
体と心のお掃除です。
食べ物
情報
瞑想習慣
この三点に気を配りましょう。
まずは体ですがなるべくピュアな状態に近づけていくために
タバコやお酒
肉類を減らしていくのが良いと思います
それから人工的な薬品がたくさん入っているもの。
添加物などを控えましょう。
次は情報の選択です もっとも身近な事ではテレビを見ない事をお勧めします。
世の中の不幸をひたすら伝えるニュース など精神の成長を妨げるような情報に満ちているのがテレビ番組です。
もちろん中には良心的な番組もあるので選ぶのはいいと思いますが
あとは暴力や戦争ものも控えましょう興奮はしますが、
そのたびに低い波動を作り出している。
これらは完璧にはできませんが心がけるだけでも大きな違いが出てくると思います。 そして最後にもう一つ瞑想の習慣を持つことをお勧めします
1日中頭の中は活動を続けています。
そんな絶え間ない事項の世界から自分自身を救出するのです。
わずか30分の瞑想が心身ともに健全な状態に戻してくれます。
瞑想は思考と意識を分離してくれます。
リラックスして自分がいつも無条件に愛され受け入れられていることを感じて下さい
あなたはあなたのままで100% okだということを感じてください
今が本当の自分です
そしてすでに今 あなたは自分の想像をはるかに超えた大きな愛に包まれ見守られているのですから
しかもそれは漠然とした愛ではなく
あなたを愛そうとする確かな意志の元で起きている愛です
あなたは神から見たときそれくらい特別な人なのです
もしその愛を全く感じないという人がいたとしたら
それはいつも無意識に自分のことを批判したり責めたりしている人です
愛を遠ざける人は
例えばもっと痩せなきゃとか
自分の見てくれや
容姿についてあれこれ言っていませんか
それ以外にも自分の財力
才能
個性
生活態度
しゃべり方
仕事の成果
時間の使い方など
あれやこれや無意識に批判していませんか
そのような態度が自分を愛から遠ざけています
皮肉なことに愛されたいと願うあまり
愛から遠ざかっているわけです
あなたが愛を引き寄せたり
愛を作り出したりする必要はないのです
ただ静かに落ち着いて自分の心の奥深くに入っていけば
そこに愛があります
それが神と呼ばれるあなたを生かしている唯一の実態です
というよりは本当のあなたそのものです
世の中が変わるためには政治や制度がいくら変わってもだめなのです
与党が野党になろうが
与党が与党のままだろうが同じことです
どちらも遅かれ早かれ失望することになります
それは政治家の責任ではありません
人間という生き物レベルの問題です
僕たちに必要なのは まず自分自身を見つめ
自分の支配から逃れること 自我を超えた存在にたどり着くことです
道元の言葉
仏道を習うというのは自分自身を習う事である
自分を習うというのは自分を意識しないことである
自分を意識しないということは
すべてが宇宙の計らいであることを知ることである
それは自他の区別主体と客体という概念を捨てることである
その悟りは永遠かつ不変のものである
競争や、目標はときに悪い結果になると思いますが、
競争や意欲が悪いわけではなく
そこに取りつかれてしまうことを
いさめているのです
むしろそれらを意図的に使っていくならば
人生を豊かにするための道具になることでしょう
不当な物事を押し付けられた時や
他人からの虐めに対して
泣き寝入りしたくないという強い気持ちがあります
これは一つの欲求だと思います
でも欲求に対して執着を持つべきでないのですよね
という質問をいただきました
それに対して私の答えは
あらゆる状況において適切に作用する魔法の言葉などありません
事実はまさにケースバイケースです
従って 何々すべきだというような「べきだと」思ってはいけません
一休さんの言葉 世の中は食うてクソして寝て起きて
さてその後は死ぬばかりぞ
よく若い人達から自分のやりたい事が見つからないとか
生きがいがわからないという相談を受けます
そんな迷いの背景には人生とは天命を見つけて独自の才能を磨き
自己実現を果たすべきだという考えがあります
私があなたの天命をお教えしましょう
それは一休さんの先ほどの言葉です
いつも目の前のやるべきことに無心で取り組めば
それが最高の生き方です
そんな生き方の中から展開していくものがあります
仕事の大きさ派手さに惑わされてはいけません
あなたが今何をしていようとそれは宇宙全体に影響を与えているのです
宇宙がなければあなたは存在できません
同時にあなたがいなければ夢中も存在できません
あなたには不完全な所は何一つありません
あなたが気づかないだけで
神をあなたを途方もない強さで愛しています
しかもあなた全てを理解した上でそんなあなたを愛しあなたの幸せを願っているのです 神が漠然とすべての人を愛しているのではなく具体的に他ならぬあなたのことを個人的に愛しているのですいつか気づく時がきますにわかに信じがたくてもこのことは事実ですから 神がすべてを許し愛してくれているのですから自分でも愛してあげましょう
とある仕事先で昔の知人と会いました
彼は 自分の実績を誇らしげに語っていました
昔なら、わざと気の無い相槌を打ったりしていましたが
今回は興味を持って 聞くことができました
だって彼は話したいんですから
話をさせてあげようと思ったのです
自慢話をしたり何かを見せびらかしたりするということは
どこか自分に自信がなくて
自分のことが嫌いなんだと思います
自分を嫌いだと他者から好かれたいと思うのが人情です
好かれたいがゆえに 認めてもらうために自慢話をするのです
そんな他人の隠れた真理までわかったとき
考え方が変わります
それがわかればこちらのやることは簡単です
相手が自慢したいことを本心から認めて感心してあげたらいいだけのこと
すると彼はとても生き生きしていました
ほんのちょっとの気遣いで人はこんなにもいい顔をするんだなと思いました
似たようなケースがあれば面倒くさがらずに聞いてあげましょう
もちろん自分の時間を大幅に犠牲にする必要はありませんが
真剣に話の内容を理解しようと聞いてあげるのです
そうすれば 相手の自尊心がよみがえってくると思います
そうやって生きる力を引き出してあげるのです
相手の言動の裏の動機が見えたとき
それを注意したり相手を脅かすのではなく
反対に安心させてあげることを心がけましょう
誰に対してもそんな優しさを持ってあげれたら
その時、一番幸せなのはきっと自分自身です
仏教にタタータ という言葉があります
翻訳すれば如性(にょしょう)とでも言うのでしょうか
仏教用語で「あるがままの真理」や「物事の根本的な性質」を意味する言葉です。
あるがままにあるということです
もっと噛み砕いて言えば起こることが起きているということです
今までに起きたことはそのようにしか起きなかったのだし
これから起きることしか起きません
これからも起きることしか起きません
僕たちはこの単純な真実を受け入れることができずに
もしあのときああしていたら何も失わなかったとか
いつまでも後悔し続けたりします
また今起きている現実に対しても 心の中のこうあるべき現実と比較し否定したり
格闘したりして不幸な気持ちを抱え続けます
どんなに心の抵抗を強みをと現実はただあるがままにあるのです
過去につらいことがあったら
そのことを自分が成長するバネにすることもできれば
運命を呪うこともできます
いずれにせよその事実は 変わらずにあるのですから
あるがままを認めることは
余計な苦しみを 背負い込まない秘訣です
それは人間関係の悩みも病の悩みもすべて同じことです
さてその上でどうしていくのか
降参するというのは放棄することではありません
あるがままの現実を認めた上で自分がやれることをやって
結果を、天に委ねるというのが降参という態度です
敗北ではなく認めるということです
今 ここのあるがままを受け入れれば
苦しみが入り込む余地はありません
その健全な心を持って事に当たっていけば
不満を振りまいて格闘していた時よりも
ずっといい結果に結びついていくことでしょう
なぜなら受け入れることこそが
大いなる英知を自らのうちに発見することに つながっていくからです
そのとき自分は大きな力でいかされ守られていることを知るでしょ
私も昔は 嫉妬と自己嫌悪が強かったです
でも今は大分減りました
そのきっかけは自分という存在は
人の幸せに貢献するためにあるという考えを持ち始めたからです
そうなってみると他人の成功は僕にとってもうれしいことになります
そんな風に思えるやようになったのは大きな進歩です
何より自分が楽ですし
そんな自分を認めることができます
僕の経験では人を恨んでいたときは
人を 羨ましがっていたときは
その相手にあまりいい波動を送っていなくて
その結果、自分自身にも悪い波動を浴びせて
悪い現実を引き寄せていたと思います
相手の嫉妬や批判はそのまま自分の現実に反映してきます
他人に対する考え方は そのまま自分の経験につながっていると思います
たくさんの過ちを犯しながら生きてきて今思うのは 心が穏やかで幸せであるための基本は 利他心だということです
ある時
悪魔会議が開かれました
人間をいつまでも不幸にしておくために
人間が決して神の子だと気づかないように
一番効果的な方法を
人間界に用いてきた悪魔を
次期悪魔大統領に任命しようというのです
現職の悪魔大統領が
候補の三悪魔に聞きました
お前たちは人間界で何をやってきたか
一人目が応えました
私は新種のウイルスを撒き散らしてきました
エイズウイルスと鳥インフルと
豚インフルです
狂牛病も付け加えておきました
欲深い人間どもが
肉を食し性欲に溺れる限り
これらの恐怖から逃げられません
悪魔たちから拍手と歓声が湧き続いて
二人目が答えました
私は人間どもに暴力と破壊の楽しさを教えてきました
映画やゲームのような娯楽に
悪魔性を吹き込んで
子供の頃から洗脳し
無差別に人を殺しても何とも思わなくなる大人を
養成できるようにしてきました
ブラボー
会場はさらに盛り上がりを見せました
そして三人目が答えました
悪魔の中でも一番賢く期待の星でした
私は聖者になりすまし彼らの前に立っていきました
あなたは神の子だと
会場に動揺が走りました
しかしその悪魔は続けました
どんなに苦しくても頑張るのだ耐え忍びなさい
そして希望を持ちなさい
より高き自分を目指し
神に近づくのだ
いつの日か完全な自分になった暁には
自分が神の子だったことを知るだろう
会場は騒然となりました
一番期待されていた悪魔が
自分たちを裏切るとは
しかし現職の悪魔大統領は言いました
人間はいずれウイルスも暴力も克服・制御してしまうだろう
しかし三人目のお前こそ完璧に仕事をやってのけた
これで人間が神の子だということを知る日は永遠にこない
彼らは永遠に自分を高め続け
永遠に神に憧れ
永遠にいつの悲観を待ち続けることで
今の幸せに気づくことがなくなるであろう
よくやったお前こそが次期大統領だ
人間を不幸につなぎとめているのは
今のままの自分では幸せになれないと感じること
いつの日か幸せになりたいという思いを持ち続けていることです
インドにこんなお話があります
ある男が世界一のダイヤモンドを探して世界中を旅して回った
それは苦難に次ぐ苦難に見舞われた大変な旅だった
心身ともにボロボロになり
結局見つけることができなかった
男は失望のうちに帰国した
そして我が家に戻り息を引き取った
それからしばらくして男の家は取り壊され
新しく家を建設するためにその土地を掘り返した
するとなんということだ
その男の家の地中から世界一のダイヤモンドが発掘された
この話は僕たち一人一人の状況と同じです
僕らは幸せを外の世界に求めて
人生という果てしない旅に出ました
出会いと別れ 希望と質問成功と挫折
かなたに見えた理想郷もたどり着いてみたら今までいた場所と変わりありません
そんなことを繰り返しながら
やがては傷つき汚れ疲れ果ててしまいます
でもとことん疲れ果てるのは幸いです
足を止め自分の中に帰ってくることで探す方向を逆転することができるからです
そのとき旅人は見出しますその宝が自分の中にあったこと
僕たちは個々それぞれが作り出している世界の中に
一人の出演者として登場します
相手の世界の中で 自分という配役が
どの程度の大きさかは人それぞれです
ある人の世界ではエキストラかもしれない
善良な市民かもしれない
油断ならない敵かもしれない
このとき興味深いのは自分が何者かということを自分が決めているのではなく相手が決めているということです
もしあなたに百人の人間関係があれば
100通りのあなたが存在しているわけです
作り出している世界観は人によって全然違うために
自分の期待を相手の世界の中で成就しようとしても無理があります おそらくお互いに一番いいのは相手の世界に過度に干渉することではなく
相手の世界を邪魔しないようにすることだと思います
何かアドバイスするときも一つの例として遠回しに伝え
相手の選択の自由を保障してあげるようなコミュニケーションがいいと思っています
それは親しい中例えば家族や子どもに対しても同じで
親しさに甘んじることなく相手は自分と全く違う世界に住んでいるという認識を忘れてはいけないのではないでしょうか
今あなたがどんなドラマの中で
誰を演じていようとそんなものは空中の霧のようなものです
ドラマの中で苦しんでいる人も
そのドラマの中に入っていって助けようとしても無理な話です
世の中にはそういう人が多いですが
その人は自分が何をやっているのか知らないのです
映画の中で苦しんでいる人を救う道はただ一つ
その人を映画の中から連れ出して
スクリーンの自分に気づかせてあげることだけです
1日数万もの施行が頭の中を回っているそうです
しかもその90%は昨日考えたことと同じだといいます
筆者はあるとき、神社で床掃除をした。
床がきれいになると同時に
自分の魂にも磨かれていくような気になりました
神社は神を拝みに来る場所ですが
神は外側にあるのではなくまさに自分自身の存在が神そのものだと分かります
そのことを教える仕掛けが神社にはあるのです
昔から人は神を求めて山を越えて谷を越えてやっとの思いで神社に到着し神殿の前にぬかずきます (額突く)
そして顔を上げるとそこに御神体があります
鏡です
そこに映るものそれは自分自身
参拝者は自分に出会うために長い旅をしてきたのです
神主が教えてくれました
鏡は神自身です
鏡から「が」を取れば神になるでしょう
鏡から「が」を取ればそこに映るものが神なのですよ
人間は自分のことを特別な存在だと考えがちです
例えば 密かに神から選ばれた人間であるとか
反対に 自分は幸せになれない才能がないとか
いずれの姿勢を自分は人と違うという感覚を持ちたがるようです
しかし残念ながら神の目から見たとき人は
何一つ変わらないと言ってもいいくらいに同じに見えます
そして神は決してこひいきをしません
誰かを優先したり 誰かを見失ったりすることはないのです
それはちょうど太陽が誰のことも同じ光で照らすのと似ています
太陽もエコヒイキをしませんね
ただその光を受け取る側が
心に大きな傘を差し
自分を閉ざしてしまえば光を届きません
それは受け取る側の問題であって与える側の問題ではありません
私が振り返ってみれば
人並み以上の生活をしてきたように思います
私は無学ですし
知能指数も高くありません
霊感もなければ超能力もありません
犬小屋も作れませんし
料理もできません
お世辞も言えないし
世渡りも下手です
自慢じゃないですが何一つ取り柄はありません
そんな男がなぜこうして生きて来られたか
そして幸運な状態がいつも続いているのか
それはズバリ神を信頼しているからだと思うのです
人生を振り返ってみれば誰でも転機となるような出来事や人との出会いがあったと思いますが
僕の場合一番大きかったのは神との出会いです
それは瞬時にしてそれまでの人生観が一変するような大きな出来事でした
そんなとんでもない存在が
どこかにいるなんて思わないでください
それはあなたの中であなたを生かしている存在なのですから
あなたはその存在をよく知っています
あまりにも短すぎてあまりにも自分すぎていつも見逃しているだけです
それはちょうど水の中に生まれた
魚と同じようなものです 神とはそのような存在です
古代ギリシャの哲学者ソクラテスも
ブッダの一人です
ソクラテスが死刑宣告され投獄された時のこと
彼は早く毒を飲みたがったそうです
それは絶望感から自暴自棄になったのではなく
死への興味から早く体験したかったようです
結局彼は実際の期日より早く毒を飲んだそうですが
自分が死んでいく経緯を詳しく報告しています
自分を取り囲む弟子たちに
毒が広がっていく状況を伝えていたと言われています
人は皆幸せを求めてきています
なぜかそれは生きるということが基本的に苦しみだからです
もし生きること自体が幸せであれば
敢えてみんなで幸せを求めなくてもいいわけです
僕の知人にディスコのカリスマdjがいました
その彼がある時エイズにかかってしまいました
異性間の性交渉による感染だったそうです
余命幾縛もない状態であることを告げられます
性交渉によるエイズというのはすごく孤独な最期を迎えるわけです
薬害や癌やその他不治の病による死の宣告は
多くの人の同情を買いますが
性交渉の結果というのはなぜか自業自得のように思われてしまうのです
しかし彼は ある日写真週刊誌に登場しました しかも危機とした表情で 自分が置かれた現状を告白していました
さてその彼はこのようなことを言っていました
自分の命が短いと知らされたとき
もうこうしてはいられない自分がやりたいことからやっていこうという心境になり
そんな生き方を始めた
そして初めて生きているということを強烈に感じることができた
もしこのような現実がなければ
自分は今もただなんとなく生きていたと思う
この先そんな人生を何10年も来るよりはわずかな
時間でも強烈に生きることを知った今の方がずっと意味のある人生になった
もうこの現実から逃れられない
自分はまもなく死ぬのだという事実を受け入れたとき
同時にいま生きているという感覚が強烈に浮かび上がってきた死と清は表裏一体で
二つでセットどちらか一方だけでは成立しない
もし死というものがなければ僕たちは生きているということを知ることもできないでしょう
これはコントラストのようなもので片方が強烈になればもう片方も強烈になります
反対に片方は曖昧にすればもう片方の輪郭もボケてきます
